筑後の手すき和紙と日源上人

更新日 2013年02月26日

 

筑後の手すき和紙と原料のコウゾ

 

日源上人像

 素朴で丈夫な特徴を持つ筑後の手すき和紙(右)と
原料のコウゾ(左)

福王寺境内にある日源上人像

 
 全国行脚をしていた日源上人が九州で初めて、溝口地区に製紙業を伝えたのは、今から約400年前の文禄4年(1595年)のこと。現在の福井県今立町に生まれた日源上人は、矢部川の水質が紙づくりに適していることや、原料となるコウゾなどが豊富にあることから、当時廃寺となっていた福王寺の境内に作業場を設け、故郷の紙すきの技術を村人たちに教え広めました。日源は、藩から御用紙係を命じられ、年貢も免除されるなど手厚い保護を受けた結果、その技術は次第に周辺の村々にも広まっていきました。その後明治時代になると約2,300戸が紙すきに携わるようになり「水田傘」や「福島提灯」など数多くの伝統工芸品が生まれるきっかけとなりました。市内で伝統の技を伝えるのは現在、猪口亮さん(溝口南)だけですが、伝統の技は確実に受け継がれています。

 筑後の手すき和紙は、素朴で丈夫な点が最大の特徴です。主な原料はコウゾやミツマタ。乾燥したコウゾを5日間水にさらしてあくをとり、棒でたたいて繊維を細かくしたあと、パルプなどと混ぜ合わせます。その後、綿状になった原料をのりといっしょに水槽に入れ「みす」と呼ばれる網で何度もすきとり、むらのない丈夫な和紙に仕上げていきます。すきとった和紙は干し板に貼り、天日で3~5日間乾燥させると完成です。筑後の手すき和紙は現在、主に九州一円の酒造メーカーで、醸造タンクの「目貼り紙」(封印紙)として使われ、薬品や染料を一切使わず、昔ながらの方法で作られる和紙は、全国から高い評価を受けています。

(出典:筑後市史第二巻、筑後市の文化財。協力:猪口亮さん)

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