船小屋温泉と夏目漱石

更新日 2013年02月26日

船小屋温泉と夏目漱石

 市の南部を流れる清流・矢部川。そのほとりに位置する船小屋温泉は、国内有数の炭酸含有量を誇る「鉱泉」として広く知られていますが、地名である「船小屋」という名前の由来を知っていますか。

 元禄2年(1689年)久留米藩が、矢部川の護岸工事用の石を運ぶ船を洪水から守るために建てた格納小屋を、当時「石船小屋」と呼んでいました。この「石船小屋」が、次第に現在の「船小屋」になったとされています。当初5艘(そう)の船があった「石船小屋」は、必要に応じて船大工が周辺の山から木材を切り出し、船を新造したり、傷んだ船を修繕したりしていました。船乗りたちが寝泊りした番屋などもありました。

 船小屋が現在のような温泉郷となったのは、明治21年に「船小屋鉱泉合資会社」が設立され、鉱泉浴場が開発されてからです。鉱泉の効能と豊かな自然環境が広く知られるようになり、県南唯一の温泉地として県外からも多くの人が訪れ、発展しました。

 船小屋が温泉地としてにぎわいを見せはじめたころ、文豪・夏目漱石もこの地に立ち寄っています。明治29年、熊本第五高等学校に赴任した漱石は、結婚したばかりの妻・鏡子といっしょに、福岡に住む鏡子の叔父を訪ねる途中、船小屋に宿泊しました。このとき詠んだ俳句が「正岡子規へ送りたる句稿その十七 九月二十五日」に書かれています。

ひやひやと雲が来るなり温泉の二階

 漱石が宿泊した日付は不明ですが、子規へ送った9月25日以前のまだ残暑の残るころ、清水山あたりから湧(わ)き出る一雨きそうな雲の流れを見て詠んだのではないかと、考えられます。この漱石の句碑は、船小屋鉱泉場の北側に建っています。

(広報ちくご(平成13年9月号)から)
  • 所在地:筑後市大字尾島

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