山梔窩(さんしか)

更新日 2016年09月23日
山梔窩(さんしか) 山梔窩(さんしか=くちなしのや)は、幕末の勤皇志士・真木和泉守保臣が久留米藩の藩政改革に失敗して謹慎させられ、9年9カ月を過ごした家です。
 1852年5月17日、水田天満宮宮司である直弟大鳥居理兵衛のもとに謹慎させられることになった和泉守は、大鳥居家の一隅に4畳半と3畳の家を建て(大工は尾島の茂吉で、完成は翌年8月6日)移り住みました。1862年2月16日、藩の許可なく薩摩へ脱出するまで、この地で門弟教育に従事し、多くの倒幕・尊王運動家を世に送り出しました。

 山梔窩という名の由来は、庭にクチナシ(梔)が植えられたことからとも「口なし」(藩への発言を止められた自分の立場)からとったともいわれています。

もっと詳しく知りたい人は、「筑後市史」第一巻をご覧ください。

(昭和44年10月20日県指定文化財:広報ちくご(平成11年9月号)から)
  • 所在地:筑後市大字水田242

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