久留米絣

更新日 2014年02月26日
以下の文章は広報ちくご(平成14年8月号)当時の情報です。
最後の一文について、平成25年末現在、2人の技術保持者と9人の技術継承者によって受け継がれています。 

久留米絣 筑後地方で発展した久留米絣は、
用途に合わせさまざまなデザインが
考え出されました

 市の代表的な伝統工芸品の一つ、久留米絣。紺地に白の素朴な美しさと渋い独特な風合いを引き出す技法は、有馬藩の城下町に住んでいた井上伝(1788~1869年)によって1800年ごろ考え出されました。幼いころから機織りが好きだった伝に、絣の技法のヒントを与えたのは、1枚の古むしろだったと言われています。伝は、古むしろにあった白いはん点に目をつけ、実際にむしろを解きほぐしながら白と黒の混ざり具合を確かめ、紺の技法を生み出しました。この技法を使って織った織物の評判が、思った以上によかったため、伝は「加寿利」と名づけ城下町で販売することにしました。これが現在の「絣」の名前の由来だと言われています。その後、伝のもとには、教えを求めてたくさんの人が集まるようになり、その数は最終的に数千人を数えるほどでした。そして、明治初期には筑後市内でもたくさんの久留米絣が生産されるようになったのです。

 久留米絣の技法は、括り、染め、織りなど、細かく分けると30以上の複雑な工程によって成り立っています。その一つひとつの工程は、いずれも生産者の熟練や経験、高度な技術が要求されるため、国は昭和32年にその技術を重要無形文化財として指定。さらに、久留米絣の技術保持者や伝承者などを、昭和51年から「久留米絣技術保持者会会員」に指定し、その技術を保護しています。市には現在、北西部を中心に数十件の絣工房があり、その技術は3
人の技術保持者と12人の技術伝承者によって受け継がれています。

出典:筑後市史第二巻、人間国宝シリーズ20

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