坂東寺の石造五重塔

更新日 2013年02月26日

坂東寺の石造五重塔「夜泣き塔」伝説が残る貞永の五重塔。
奥に見えるのは複製品の天保塔。

坂東寺の石造五重塔

 五重塔といえば、奈良県法隆寺の五重塔が有名ですが、筑後地方で最も古いとされる石造五重塔が、市内熊野の坂東寺にあることを知っていますか。

 坂東寺の山門を入って左手のフェンスの中、縦・横90センチ、高さ30センチの基盤となる石の上に五重塔は立っています。鎌倉時代貞永元年(1232年)に造られた塔は高さが246センチ、ほぼ正方形の笠石を5段重ね、最上部に宝珠形の石をのせ、塔身には密教の教えである五大(空風火水地)と種子の四転(発心、修行、菩提、涅槃)を示す梵字が刻まれています。

 この貞永の五重塔(貞永塔)には、ひとつの逸話が残されています。参道を挟み、貞永塔の反対側に立つ貞永塔そっくりの塔。この塔には「天保3年(1832年)、久留米藩第9代藩主有馬頼徳公(月船公が、複製品(天保塔)をもとの場所に建てた」と刻まれています。月船公は多様な趣味の持ち主で、柳原園や江戸藩邸の庭などに、藩内の古い寺や神社から由緒ある石造美術をたくさん収集したことで知られていますが、おそらく貞永塔もその一つとして集められ、代わりに天保塔が立てられたのではないかと考えられています。しかし、現在の貞永塔が果たして柳原園から戻ってきたものなのか、もともと2つの塔があったのか定かではありません。柳原園で使用された貞永塔は、その後「もとの坂東寺に帰りたい」と、夜な夜な泣いたといいます。この逸話にちなんで、貞永塔は「夜泣き塔」とも呼ばれています。

◆出典:『筑後市史』第一・三巻、『かわらばんみづま』第41号(三潴郷土史研究会)昭和36年10月21日、県有形文化財・建造物指定:広報ちくご平成14年2月号から)

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